1980年代に放送されて高視聴率を記録した学園ドラマ「スクールウォーズ」。高校の弱小ラグビー部が全国優勝するまでの道のりを描いたストーリーは時代を超えて愛され、その魅力が語り継がれています。そこで今回は本作に登場する体育教師のモデルとなった山口良治さんに着目し、彼の若い頃の活躍や教え子について調査しました。
山口良治はスクールウォーズのモデル?
(出典元:日テレNEWS)
山口良治さんは1974年にラグビー選手を引退した後、1975年に市立伏見工業高等学校ラグビー部の監督になりました。当時、高校ラグビー界において同校ラグビー部は無名で、所属している生徒たちにやる気がありませんでした。そのような状況を目の当たりにした山口良治さんは生徒たちに体当たりで熱血指導。その努力が実を結び、1980年に同校ラグビー部が全国大会で優勝しました。このエピソードを大映テレビのプロデューサーである春日千春さんが知り、映像化したのが「スクールウォーズ」なのです。
山口良治の若い頃の活躍を紹介
現役選手時代には「名キッカー」「名フランカー」といわれていた山口良治さん。ここからは若い頃の活躍を紹介します。
大学でラグビーの才能を開花
山口良治さんがラグビーを始めたのは高校時代。甲子園出場に憧れて県立高校に進学したところ野球部が廃部となり、先輩に勧められるがままラグビー部に入部しました。高校卒業後、日本大学に進学して一度ラグビーから離れたものの、日本体育大学の2年次に編入。当初、100人以上が所属しているラグビー部の中で4軍にいましたが、けた外れの努力で頭角を現し、1軍に昇格しました。数々の大会での活躍ぶりによって大学卒業時に企業から勧誘されたものの、教師になったのでした。
相手に衝突しない戦法を実践
教師になってから数年後、山口良治さんはラグビー日本代表に選ばれました。1968年にニュージーランド遠征に参加して以降、1974年に現役を引退するまで幾度も国際試合に出場。優れたキックの技術と瞬発力をいかし、2度のアジア大会優勝に貢献しました。現代の日本ラグビーにおいて相手チームの選手との激しい衝突が普通ですが、山口良治さんらは素早くボールを拾って動き回る戦法を実践。そのため日本ラグビーは暴力のないことが美点といわれていました。
山口良治の教え子は誰?
市立伏見工業高等学校ラグビー部の監督を務めていた1975年から1998年までの約23年間、山口良治さんは数多くの名選手を輩出しました。ここからは山口良治さんの教え子を紹介します。
山本清悟
山本清悟さんは「スクールウォーズ」に登場するラグビー部員・大木大助のモデルとなった人物です。中学時代はバイクを乗り回してスナックやパチンコ屋に出入りし、「弥栄の清悟」として地元で悪名をとどろかせるほどの不良少年でした。高校入学後も真面目に登校していませんでしたが、山口良治さんに誘われてラグビー部に入りました。山口良治さんは自身と同様に父子家庭に育った山本清悟さんを気にかけ、朝食を一緒に食べたり、遠征の時に握り飯を用意してあげたり、公私にわたって面倒を見ていたのです。
師の教えを受け継いで
山口良治さんによる体当たりの教育を受けた山本清悟さんは不良少年から脱却して見事に更生。ラグビーに没頭するうちに才能を開花させ、高校2年生の時には高校日本代表のメンバーに選ばれて海外遠征を経験しました。
「自分と似た境遇の子供たちを救ってあげなさい」という山口良治さんの教えを胸に、日本体育大学卒業後は県立高校の保健体育教師およびラグビー部の監督に就任。定年退職後もラグビー部の指導に尽力しています。
小畑道弘
小畑道弘さんは「スクールウォーズ」に登場するラグビー部員・森田光男のモデルとなった人物です。山口良治さんが市立伏見工業高等学校ラグビー部の監督に就任した1年目は同校の3年生でした。ラグビー部の主将を務めていたものの当初は他の部員と一緒に山口良治さんに猛反発。練習試合をボイコットするなど真剣に部活動に取り組んでいませんでした。しかしインターハイの地方予選でラグビー名門校である花園高等学校と対戦した際、ほぼ一方的にゴールを決められて完敗し、これを機に練習に精を出すようになりました。
父子ともにラガーマン
山口良治さんとの出会いをきっかけに夢と目標を抱くようになった小畑道弘さん。高校卒業後は変遷を経て、建設会社を発足しました。会社の代表を務める傍ら、少年ラグビーチームのコーチを務め、地域貢献活動に熱心でした。
小畑道弘さんの背中を見て育った息子の小畑健太郎さんは市立伏見工業高等学校を経て帝京大学に進学した後、ラグビー選手になりました。2025年8月からルリーロ福岡に所属し、父に代わって建設会社の施工管理をしながらラグビーの練習に励んでいます。
平尾誠二
(出典元:スポニチチャンネル)
平尾誠二さんは1980年代に日本ラグビーを盛り上げ、「ミスターラグビー」と呼ばれるほど大きな影響力を持っていたレジェンドです。ラグビーを始めたのは中学時代。市立中学校のラグビー部の練習風景を見て「楽しそう」と思い、ラグビーを始めました。小学生時代に野球に熱中していたため、瞬発力や捕球のスキルが優れていたのでしょう。中学3年生の時には花園高等学校に特待生として入学する話が浮上していました。しかし山口良治さんの熱心な勧誘によって市立伏見工業高等学校に入学したのでした。
大八木淳史
大八木淳史さんは平尾誠二さんと同じく1980年代に活躍した元ラグビー選手です。市立伏見工業高等学校への入学をきっかけにラグビー部を始めたところ、瞬く間に才能を開花させ、高校日本代表のメンバーに抜擢されました。高校卒業後は同志社大学に進学し、同大学のラグビー部に所属。190センチの大きな体躯と強力なタックルをいかして4度の学生日本一に貢献しました。ラグビーが盛んなニュージーランドで実力を認められるほど優秀な選手でした。現役を引退した後はラグビーの指導と普及に取り組み、後進の育成に力を注いでいます。
まとめ
山口良治さんが深い愛情を持って指導に取り組んだ結果、無名だった市立伏見工業高等学校ラグビー部は怒涛の勢いで成長し、インターハイ常連校になりました。同時に数々の不良少年を立ち直らせ、生涯にわたって教育への情熱を絶やすことはありませんでした。今後も「スクールウォーズ」の物語と共に、山口良治さんの偉業が語り継がれ、多くの人に夢と希望を与えるのではないでしょうか。










