社会人ラグビーチーム・埼玉パナソニックワイルドナイツ(通称:ワイルドナイツ)に所属している山沢拓也さん。変幻自在のパスとキック、そして即座にスペースを見抜いて突破する走力を持ち、プレイメーカーとしてチームを牽引しています。「ヤマ」「タクヤ」というニックネームでファンの間で親しまれ人気と実力の両方を兼ね備えていますが、W杯に一度も出場していません。そこで今回は山沢拓也さんが日本代表に選ばれない理由と共に、兄弟や年収などを調査しました。
日本代表に選ばれないのはなぜ?
(出典元:日テレスポーツ【公式】)
2026年8月時点(現在)山沢拓也さんが日本代表チームに召集されたのは2024年が最後です。2024年におこなわれたイングランド戦で山沢拓也さんは途中出場し、リザーブの流れを一気に変えてみせました。しかし以後、日本代表には復帰していません。2026年2月に発表された日本代表候補メンバーには山沢拓也さんの名前が含まれておらず若手の選手が中心でした。HCを務めるエディージョーンズさんは2027年のW杯を見据え、若手の育成こそが最重要課題と考えているのかもしれません。
短期決戦で起用する難しさ
もともと山沢拓也さんはラグビー全般のスキルと共に戦術眼が優れていたため、チームの司令塔となるスタンドオフを任されていました。しかしタックルの種類の少なさや戦略の指示不足などの問題点が目立ち、2024年頃から守備の要であるフルバックにつく機会が増えています。確かにシーズン中に数々の試合で想定外のチャンスを見つけて反撃の突破口を切り開いているものの、その能力が短期決戦となる国際大会で発揮できる保証はありません。それゆえ山沢拓也さんよりも安定感のある選手が日本代表候補に選出されているのではないでしょうか。
兄弟もラガーマン?
兄と弟も山沢拓也さんと同じくラガーマンです。それぞれどのような人物なのか見ていきましょう。
兄は元ラガーマン山沢一人
兄の山沢一人さんは山沢拓也さんよりも早くラグビーを始めました。高校卒業後は、立命館大学に進学してラグビー部に所属。2012年に開催された全国大学ラグビー選手権大会セカンドステージでは背番号21をつけて途中出場し、バックスのポジションを務めました。その後の山沢一人さんのラガーマンとしての活躍は確認できないため、大学卒業に伴ってラグビーを辞めている可能性が高いです。
弟は現役ラグビー選手・山沢京平
(出典元:MBS(毎日放送))
弟の山沢京平さんは4つ年上の兄である山沢拓也さんと同じく、ワイルドナイツに所属するラグビー選手です。山沢拓也さんの背中を追いかけるようにラグビーを始め、深谷高校在学中に高校ラグビー日本代表に選ばれました。高校卒業後は明治大学に進学し、1年生の時からラグビー部の主要メンバーの1人でした。防御の隙間を器用にすり抜けるボディバランスと、スペースをえぐるようにボールを飛ばすキックの技術は名将として有名なジェイクホワイトさんにも絶賛されていました。
山沢拓也の年収は?
山沢拓也さんの所属チームではプロ契約している業務委託契約選手の場合、年収が1000万円から2000万円。企業と雇用関係にある社員選手であれば年収が500万円から1000万円です。一般的なアスリートと同様に試合での実績のほかCMやテレビ番組への出演本数が年収に反映されます。山沢拓也さんは2025-26シーズンで所属チームを最終順位3位に導き、2026-27シーズンでスタンドオフのポジションを担当。チームから多大な期待を寄せられているものもメディア露出が多くないため、年収が2000万円ほどではないかと推測できます。
山沢拓也のプロフまとめ
(出典元:MBS全国高校ラグビー)
山沢拓也さんは1994年9月生まれで埼玉県熊谷市出身。市立熊谷東中学校のラグビー部に入り、初めてラグビーに触れました。その一方、地元のクマガヤサッカースポーツクラブではフォワードを務め、関東を代表するサッカー強豪校から熱心に勧誘されるほど優秀な選手でした。しかし県立深谷高等学校に進学してから兄の影響でラグビーに転向。1年時からレギュラーに抜擢されてスタンドオフを務め、全国高等学校ラグビーフットボール大会(通称:花園)に出場して大活躍していました。
高校時代に急成長
県立深谷高等学校ラグビー部の監督を務めていた横田典之さんは山沢拓也さんが数年後に日本代表チームのスタンドオフになるだろうと推測。そこで彼がレベルの高い選手と切磋琢磨する機会を積極的に作りました。その計らいもあって山沢拓也さんは司令塔として目覚ましいスピードで成長し、高校2年時に高校日本代表に選出されてヨーロッパ遠征に参加したのでした。そして高校3年時にはエディージョーンズHCの目にとまり、日本代表の合宿に招集されました。
日本代表の合宿で挫折を経験
日本代表の合宿中、山沢拓也さんはジュニアジャパンの1人としてトンガ代表との練習試合に途中から参加。ピッチに入って直ぐに効果的なカウンターアタックを決めたものの、その後は見せ場をまったく作れませんでした。巨漢が揃うトンガ代表チームに恐怖心を感じてパニックになり、普段通りのプレーができなかったのです。ただ当時の山沢拓也さんは高校に入学してからラグビーを本格的に始めており、ラグビー歴2年ほどの状態でした。ラグビーに関して未熟な点が多かったのでしょう。
大学在学中トップリーガーに
(出典元:JAPAN RUGBY LEAGUE ONE|ジャパンラグビー リーグワン)
高校卒業後は元ラグビー選手である内田啓介さんのアドバイスを参考にして筑波大学に進学。もちろん同大学のラグビー部に入り、大学1年時からレギュラーに抜擢されていました。東日本大学セブンズ優勝に導くなど存在感を発揮していましたが、大学2年時と3年時は怪我が続き、2015年のW杯を見据えた活動に召集されませんでした。苦しいリハビリ期間を経て大学4年に進級する数カ月前にワイルドナイツに入団。大学に在学したままトップリーガーになった選手は史上初だったため、ラグビー好きの間で大きな話題になりました。
まとめ
大学4年時にジャパンラグビートップリーグの公式戦に初出場して以降、類まれな才能をいかしてワイルドナイツの勝利に貢献してきた山沢拓也さん。世界王者の司令塔という異名を持つボーデンバレットさんの出身地であるニュージーランドにラグビー留学していた時期もあり、努力を怠っていません。2023年3月に開催された首位攻防戦では1試合で4種類のゴールすべてを決める「フルハウス」をリーグワン史上初めて達成しました。2027年のW杯で山沢拓也さんの活躍が見られるのか、今後の展開に期待したいですね。










